3月3日から9日間、マラッカとペナンに行ってきました。(写真下:手前がヒンドュー寺院、奥がモスク)
どうして、マラッカに行きたかったか。
いつだったか(5、6年前?)、テレビでマラッカの特集をしていた。いろんな文化が交差したその国には、様々な信仰が共存している。イスラム教のモスクの横に仏教寺院、カトリックにプロテスタントにヒンドュー教の寺院が並ぶ。中国からの移民も多く、豚肉料理はもちろん食されるが、イスラム教徒が断食の時には、豚肉の茹で汁を道路にこぼささないようにしてる(ってか、なんで、普段こぼしてんの?)。自分の信仰するお寺の前を通る時、もちろんお礼をするのだけど、よそのお寺さんや教会の前でも、ぺこり。
いいなぁー、この国。
で、行ってみた。
ペナン島のホテルスタッフ、キムさん。彼女は両親が中国からマレーシアへやってきた。教育は、イギリスのシステム。「クリスマスのお祝いもするし、そのあと旧正月。もうすぐイースターでしょう?お互いに招待し合うから、忙しいのよ。うちんとこは、朝からユザーン、コーラン…ほんと、にぎやか。(夏には盆踊りもあるらしい。)」
「植民地」という言葉に、ネガティブな印象をもっていた。マラッカはそれぞれのいいところを上手に一緒にしたような、穏やかな街。どっちもいいとこあるし、ただ違うだけ。レストランで「地元のお客さんが多いですね」と言ったら、「colonial(植民者)もいるよ」と答えた。その言い方に上も下も感じなかった。大学のとき、沖縄の友人が本土の人たちを「ないちん」って言うのを聞いた時とは、すこし違った。
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へんなエリアを歩くので、初めての日本人客!と喜ばれる。 |
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ホテルのライブラリーにあった写真「日本軍が自転車で、シンガポールから上陸してきた。」 |
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ショップハウスという独特の建物が並ぶ。オランダ統治下で税金対策として間口を狭く、 |
余談ですが。
マレーシアはポルトガル→オランダ→イギリス→日本に統治される。わたしの祖母はとても鼻が高く、背も高い大正生まれの人だった。目の色素も薄いし、足が長いんで座ってると小さいのに立つと、でかい。小学生だったある日、母の妹(叔母)が「おばあちゃんは、ポルトガルとの3世よ。」と私に囁いた。なっ、何分の一か、ポルトガルの血が!と、自分のルーツを見ようとポルトガルに行った、33歳の頃。したら、叔母!「うっそよぉ!」20年以上信じてた、ひどい。イギリスに4年半留学、2011年には3ヶ月オランダで滞在制作をしたせいか、なんだかおちついた。




