【ARTORO「土がぼくらにくれたもの」活動報告・展示のお知らせ】
展示期間:2014年3月14日(金)〜3月30日(日)
場所:登呂博物館1F情報コーナー/観覧無料
田んぼの土で飯碗を作って同じ田んぼで稲を育て、収穫した米をその飯碗で食べたい、ただその思いだけでミュージアムショップを運営する田嶋さんに声をかけたのは2012年5月のはじめ。彼の事務所で、安東米店の長坂さんに会ったのが6月。その時はじめて、お会いしたのに同志だと思った(笑)。
2012年は1年かけて、さまざまな実験をした。論理的には地球上の土を焼けば、みんな焼き物(石)になる。しかし、ほんとに田んぼの土から飯碗をつくれるのか?それは意外とあっさりできたけれど、当時の野焼きは800度前後で、いわゆる素焼きの器。田んぼの土で作った碗でごはんを食べてみたら、器が水分を吸ってしまい、お米はくっつくし、洗うと乾くのに時間がかかり、カビも生える。一度納豆を食べたら匂いがとれなくて、参った。弥生の人も同じ人間としていやだなあと思ったはず。嫌だけど便利。となると、器との間に葉っぱを敷くなどの工夫をしたのか?と調べると、縄文時代には素焼きに漆をかけて撥水効果を出す陶胎漆器というものがあることを知る。
登呂で出土した壷の底には、葉っぱの跡がある。学芸員の稲森さんに
「なぜ?何の葉っぱかしら?」
「何で、ですかね?何の葉っぱか調べたことはありませんね。布目のものもあります」
「ロクロ代わりに使ったんじゃないの?滑りがいいから。」
と実験してみたら、なんと調子のよいことか。なんで、今まで考古の人は実験してみなかったんだろう?
アンコメさんは、スイハニング(彼の造語です)のプロ。2012年の実験では、薪の量を測って燃料との兼ね合いで調理の仕方、米の浸漬具合も違ったろう?と仮説をたててみたものの、いちばん驚いたのは煮炊き用の土器の形。サイズがいろいろあっても、形(デザイン)は同じ。この口縁の微妙なカーブでどんなに薪を焚いても、煤(すす)が入らない。すごい!
1年続けて行くうちに、米は年に一度しか穫れないとつくづく実感した。(豊作のためには祈ったろうし、踊ったろうよ!)登呂出土の土器には、割れたところを桜の木の皮で継いで直したものもある。米の実の部分だけを穫る穂刈りをした登呂の田んぼでは、稲が立っているのを見て、この稲藁を燃料に焼畑を兼ねて、年に一度、土器の野焼きをしたかもしれないと想像する。次から次へと、やってみてわかることが私たちを導いてくれる。
そして、昨年(2013年)。東京からの4名を含む22名の様々な年齢・職業の参加者とともに、登呂会議主催・連続7回講座「土がぼくらにくれたもの」を開催しました。田んぼの土をとり、種から苗を育て、収穫し、食した半年かけて「なぜ?をやり直した」軌跡を発表します。「ここまでわかったよ」という中間発表かもしれません。
思うことは、何かを生み出して行く場、それは疑問“?”かもしれないし、合点“!”かもしれない、そこで出会う人・モノとの関係かもしれないけれど、そのプロセスがいちばん興味深く、心に残る気がします。そういう意味で、私は本当のところ、ワークショップで成果物を持ち帰ることに意味を見出していない。そこで得たことや想いをそれぞれが自分の持ち場に帰って生かすことができて、初めて成果と思う。
お時間がございましたら、ミュージアムショップ横にあるちいさな展示コーナーですが、ぜひお立ち寄りいただければ幸いです。今年も5月から第2回の講座を開催する予定です。