静岡県埋蔵文化財センターが主催する「考古学セミナー(全5回)」に参加した。第1回は6月24日(月)に「最新情報からさぐる静岡の旧石器時代」。
静岡県東部で多く見られる、3万年前の落とし穴(*写真は、はぎ取り資料)。スコップがない時代に、固い火山灰の地層を人がすっぽり入るくらいの深さ1.5mも掘るのは、たいへんな労力。掘った土を獣の皮などに入れて、外へ出すのは共同作業でなければできなかったはず。下原遺跡には、山の尾根を分断するように、落とし穴が60基以上。当時は、狩猟と採集の生活だったと言いながら、石器が近くで見つかっていないから集落からは離れている、という説明。んーーっ、縄文時代より以前は一ヶ所に定住せず、狩猟生活をしていた、というのが、私のこれまでの知識。ここを、動物が確実に通ることが前提でなきゃ、こんな大事業をしないだろう。でも「さて、掘ろうぜ!」って、どういうメンバーがどこから、集まってくるんだ??みんな、親戚だったのか?
すると、参加者の男性がぽつりと、質問。
「尾根とか谷とか、地形はそう簡単に変わらないでしょう。たとえば、一時期にそれだけの穴を一期に作ったと考えずに、時間差で少しずつ、何年か何代かに渡って増やした可能性はないんでしょうか?」
「それは、なかなか鋭い質問ですねぇ。しかし、地層から考えると…。」
3万5千年前の石器は、長野県諏訪湖辺りの黒曜石だと分析されている。黒曜石を採るために、長野→静岡間を移動。その歩行距離、200km。さまよい歩いていたわけではなく、これも計画的に同じルートを往復していた、という。そこまで情報収集できてたら、わざわざ行かなくても、どこか途中で交換したんじゃないの???と考える自分に、ふと笑う。生まれた時代が違うだけで、同じ人間なんだよなぁ。わたしの発想は、学者目線でなく、生活者目線だわ。なんか、もっとラクな方法、ないのぉ?
そう。
誰も見たことない。
当時の暮らしがどんなだったか。
テキストを持ってからは、どなたかの日記や小説で私たちは当時の暮らしを垣間みることができるけど、手がかりは発掘された材料だけ。写真もない。地図もない。目に見える材料から、記録のない当時の移動生活を想像する妄想力、“こうかもしれない” “こうだったらいいなぁ”はもはや、センス。学問にはインスピレーションが必要と思う。
