生きている作家、との対話

2010年11月8日月曜日

diary 制作メモ

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2010年11月8日(月)



昨日、おとなりに住む7歳の楽菜(らな)ちゃんがスタジオに来た。お母さんの帰りが遅かった時、仕事場であずかったことがある。

「あの、おおきいのが浮かんでて、ちいさいのが沈んでた。あれはよかったね。」一瞬、何のことか分からなかった。あ、去年、静岡アートギャラリーの「この場所で」展に出品した“bathroom”のコト……展示前にここにあったのを、覚えてたんだ。そっか、楽菜ちゃん、あれ、おもしろかったんだ。

水の底へと沈んでいくように、私の心が静まり返った。

昨日で、仕事場と自宅・ギャラリーを兼ねたこの場所へ移って、3年。エサシトモコ展も最終日。意外にも、小さいはなこさんを注文する方が多かった。自分を、娘さんをモデルにしたら、どんなはなこさんになるんだろう?お隣の由佳さん「7歳の楽菜がずっと、いるんでしょう?お嫁に行く時にもたせたい。」梶山さんは、「還暦のお祝いにわたし、自分につくってもらおうかな」坂の上に住む大石さんは、閉める直前にやって来て「やっぱり、お母さんに編んでもらったセーターで作ってほしいから」と写真を撮り直しに来た。会期中、何度も足を運んでくれたエサシさんとの会話も、keyだったと思う。

わたしがここに在ることは、作品を美術家として発表するだけではなかった。スーパーの帰りにふらっと38STUDIOへ寄ってほしい。美術とヒトの暮らしの垣根を低く、わたしをとおして伝えられるものがあると思ったから。

夕方みえた2組の女性がともに、「本原さんの作品もまた、見たい。」と。ずっと外での発表ばかりで、ギャラリーは年に2〜3回しか開けてなかった。引っ越して、3年。少し根付いた今、ギャラリーの在り方を見直してみよう。

現代美術は唯一、今生きている作家と対話ができる、すばらしいもの。


わかるかな?底に、ちいさな焼いたカップが沈んでる。

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