2005年9月3日
祖母が愛用していたカップを頂きました
大正時代のものみたい、きれい
5月の末、祖母が逝ってしまった。
歯を磨いている時、ふと彼女が欠けていることを思う。今朝は目覚まし時計を睨みつけながら「もういないんだ」って思った。
一緒に暮らしていた訳ではない。実家から歩いて10分ほどのところに彼女は住んでいた。大学の時には毎月、封筒に(←普通郵便ダヨ)3000円を忍ばせて送ってくれた。最後にいつも、「おばあさん」と書いてあって、おばあちゃんはハルさんなのにどうしておばあさんって書くのかなって可笑しかった。彼女の小さな仕送りを私はフツーに生活するために使ってしまっていたと思う。本当に感謝できてたかな…自分1人で何でもやりたがっていた私にそんな余裕があったか、わからない。
80も越えているのに、吉本ばななさんの小説を読み、渡辺貞夫さんのJAZZを聞き、いつもボタンのあるシャツにスカートをはいてきちんとしていた。家にいるからってだらしない格好をしたりしなかったなあ。クロスワードも好きだった!そういえば「マディソン郡の橋」を読んで「こういう、あまっちょろい恋愛は嫌いダ」とか言っちゃって。
小さい頃に母親を亡くした祖母は、「自分はできるだけ長く子供と一緒に過ごしてあげたい。」と言っていたそうである。だから、娘である私の母は「わたしは幸せだった」と言う。
葬式の日、私は自分に子供がないことをとてもとても悔やんだ。彼女が残してくれたものを私だけのものにしていいの?もしも、自分が大学生の孫を持つことになったなら、同じように便せんに3000円を包んで送りたい。
