意味のない音

2003年3月28日金曜日

diary

t f B! P L

2003年3月28日(金)



私達の侵入に、すたすた逃げるネコとニワトリ(バリ島)

1週間バリ島で過ごし、名古屋へ降り立った。清水へ向かうローカル線の中、向かいに座った主婦の会話がわからない。その音を“意味”につなげるコトができないよ。ほんとうに日本語なの?思わず、夫を見ると「注意して聞かないと、わからないね。」と言った。彼も、同じか。
いつものようにスタジオへ向かうと、自分の足音、車の通りすぎる音、服とリュックが擦れる音、遠くでシャッターが閉まる・・・すべての音を拾っている。耳を澄ましているつもりはない。ただ自分の中に染みてくる。自分がどこにいるのか、手がかりとしての音。

選択肢が多すぎるから、一生懸命自分を閉じていたように思う。
そういうことではないんだな。
私も同時にそこに在るんだよ。バリに行ったら、カラダが開いちゃったみたい。

もうひとつ。
「同じことをくり返す。」について。
ヒンズー教徒の彼らが日に3度、小さな花やご飯を綺麗に飾ってお供えをする。路や石や、自分の生活のささえとなる発電機のモーターの上にも。その姿にやられた。くる日もくる日も同じ所作をする。信仰というのは、自分を確かめるようなコトなのか。
毎日、同じようでも決して同じではない。そのようなコトが、最近とても気になるのです。

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